大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和29年(う)2149号 判決 1955年4月18日

控訴人 被告人 藤掛信一

弁護人 秦重徳

検察官 八木新治

主文

原判決を破棄する。

被告人は、無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人秦重徳作成名義の控訴趣意書記載の通りであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は、次のように判断する。

論旨は、原判決が被告人において追越禁止区域内において他の自動車を追越した事実竝びに右追越について被告人に追越禁止区域内の追越であるという認識なく、すなわち過失により追越した事実を認定しながら、道路交通取締令違反行為は故意ある場合は勿論過失により違反行為をした場合にも処罰を免れないとして同令第二十一条及び第五十七条第二号を適用しているのは、本来故意犯のみに適用される同令の解釈を誤つて適用した違法な処置であると主張するのである。

よつて原判決を検討するに、原判決は、証拠によつて被告人が原判示追越禁止区域内で他の自動車を追越したのであるが、その際被告人の不注意より、すなわち、被告人の過失により右横断幕及び標識を見落したものと認定するとし、右判示に続いて「従つて本件追越行為も右過失により追越禁止区域内の追越の認識なく過失により追越したものと認定する。

これを法律に照すに道路交通取締令違反行為は人命の危険並びに秩序維持のため罰する行政罰であつて故意ある場合は勿論過失により違反行為ある場合と雖も処罰せらるるものであるので本件に関しては同令第二十一条第五十七条第二号……を適用し……」と判示し被告人を科料金四百円に処しているのである。以上によれば原判決は被告人が不注意により右横断幕及び標識を見落したものと認定しているのであるが、その趣旨とするところは被告人において追越という事実の認識はあつたが、その地点が法令によつて追越を禁止された地域であることの認識が被告人の不注意に因り存在しなかつたとするのであるから、原判決がその末尾において明らかに過失による違反行為と判示しているように過失犯として右法条違反の罪の成立を認めているとともに又検察官が原審以来主張しているように右追越禁止区域であることの認識のないことはいわゆる法律の不知といわれるべきものであつて唯追越という事実の認識さえあれば右法条違反罪の成立に必要な犯意としては十分であるという見解を是認し被告人につき右法条違反の成立を肯認しているものの如くでもあるので以下これらの点について検討を加えることとする。

先ず道路交通取締令第二十一条第一項(本件は第一項に該当する事案である。)に違反し同令第五十七条第二号に該当する犯罪が故意犯のみならず過失犯をも含むかどうかの点について考えてみるに、凡そ刑罰法規においては、故意犯のみが処罰の対象となることが原則であつて、過失犯を処罰する場合はその例外であり直接明文の存する場合又は直接明文はなくとも個別的に検討して当詳法規の全趣旨から推して過失犯を処罰する律意が認められる場合でなければならない。(刑法第三十八条第一項)そしてこれを認める場合も罪刑法定主義の原則にかんがみ極めて慎重に検討し単に行政取締目的の徹底を期する上に必要であるというようなことに藉口して安易にこれを結論すべきものではない。ところで前記法令違反の罰則は形式的概括的に追越行為を禁止し違反行為者に対し比較的軽い罰金又は科料を科するものであつて過失犯に対する処罰の場合にもあてはまる外観を具えているものの如くでもあるが、これは同令による取締の目的が同令の母法である道路交通取締法第一条に規定するように道路における危険防止及びその他の交通の安全を図ること、すなわち、専ら発生することあるべき交通事故を未然に防止するにあつて違反行為の取締ということに重点がないことから生ずるものであるからこれとて過失犯を処罰する一徴表というわけにはゆかない。その他同令を前記道路交通取締法を参照しながら、考察しても過失犯をも処罰しなければならない特段の理由は発見できない。なお、取締の徹底という見地について考察してみるに、なるほど事故防止のためには故意犯も過失犯も等しく処罰するのが相当とも一応考えられるのであるが、不注意による違反を防止するためには、先ず何が違反であるかを認識させその規律の遵守を徹底させるのが前提である。さればこそ、同令第五条においては当該公安委員会に道路標識又は区画線によつて適当な表示をなすことを義務付けておるのである。刑罰をもつてする威嚇よりまず規律の周知徹底が先決問題であり、これに努力しないで処罰の徹底のみを期するは本末顛倒と考えられる。因に本件においては原判決も判示しているように、又記録に現われた諸般の証拠竝びに当審において事実の取調としてした証人尋問の結果、検証の結果によつても明らかなように本件事故発生当時当該追越禁止区域につき現在示されているような道路面の「追越禁止」なる文字の表示、白線及び黄線による道路上の区画線の各不存在、追越禁止区域たることを示す道路標識及び所轄警察署の掲げた横断幕の位置の不適当など関係者に追越禁止区域たることの認識を与える手段に甚だ手落が存していたことが明白である。

以上述べたところにより少くとも同令第二十一条第一項第五十七条第二号違反の罪に関する限り、その処罰の対象は、刑罰法規の原則である故意犯のみであり過失犯はこれに包含されないものと解するのが相当と思料されるのである。

次に本件において追越禁止区域であることの認識のないことはいわゆる法律の不知であつて犯意を阻却するものではなく被告人に他の自動車を追い越すという認識がある以上故意犯として本件犯罪が成立するかどうかの点について考察してみるに、犯意ありということ、すなわち、罪となるべき事実を認識するということは、道路交通取締令第二十一条第一項第五十七条第二号の罪においては、その認識は積極的なものであつても未必的な消極的なもののいずれであつても差し支えないこと勿論であるけれども、単に他の自動車を追い越すという認識だけでは足らず、公安委員会の定める場所、すなわち、追越禁止区域内で他の自動車を追い越すという認識を意味するものと解するのが相当である。(昭和二十五年二月二十一日最高裁判所第二小法廷昭和二十四年(れ)第二五九四号森林法違反被告事件判決参照)そして右公安委員会が何日如何なる法令で右追越禁止区域を指定したかを知る必要はなく(本件追越禁止区域の指定は、昭和二十八年四月二日付東京都公安委員会告示第二号によりなされている。)この指定法令の不知こそまさにいわゆる法令の不知といわれるものに該当すると解しなければならない。従つて前記見解は到底採用できないものである。然らば、原判決の事実認定にして以上の如くなりとすれば、故意犯としても勿論本件犯罪は成立しないものとしなければならない筋合である。

以上説明するところによりいずれにするも原判決が前記道路交通取締令違反の罪の成立を認め右法条をもつて問擬したのは、まさしく法令の解釈を誤つてその適用に違法の廉があり、この違法は判決に影響を及ぼすことの明らかな場合であり原判決は到底破棄を免れない。論旨はいずれにするも結局理由がある。

よつて刑事訴訟法第三百八十条第三百九十七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四百条但書を適用して当裁判所自ら更に判決をする。

本件公訴事実は、被告人は、昭和二十八年六月十四日午前十一時三十分頃緊急自動車以外の普通乗用車第三-三一四二〇号を運転中東京都公安委員会が追越禁止の場所と指定した東京都南多摩郡日野町日野三千三百三十九番地先道路において前方進行中の三輪自動車第六-七五七一六号を追い越したものであるというにある。

よつて按ずるに、犯意の点を除き右事実は、関係各証拠によりこれを肯認するに十分である。進んで犯意の有無の点を検討するに、原審竝びに当審における検証の結果、原審竝びに当審における証人佐々木哲男同佐野良司、原審証人馬場元衞の各証言被告人の原審第三回公判廷における供述その他の証拠を綜合するときは本件追越禁止区域は、甲州街道(一級国道)の国鉄日野駅附近の比較的人や車馬の交通の頻繁な東京から八王子に向つてゆるやかな左カーブをえがく右駅附近から東京に向つて二百米位の区域に亘つておつて、東京寄り左側八坂神社附近においては道路幅員九米その両側に人道を有し車道は左右両路とも優に自動車二両が並行できる状況であり、本件追越をした地点においては道路幅員は九米位であるが、両側に人道なく直ちに人家に接している状況であること、本件事故発生当時現在同所に見られるような白線による左右両側の道路区画線黄線による追越禁止区域たることを表示する区画線、「追越禁止」なる文字による道路上の表示は存在せず、現在前記八坂神社前に存する追越禁止の標識は当時はこの地点より五九・二米位日野駅寄りの人道上車道に近接する地点にあつたこと、右の標識の移転は更に見やすい位置に移すためであつたこと、所轄警察署のかかげた横断幕は、元の位置すなわち八坂神社より十数米位東京寄りの地上約五米の位置に存在するも東京寄りから進行する自動車にとつてその背景をなす国鉄の線路竝びに陸橋その後の山野左側の樹木人家等或は天候等により明認できないとまではいえないにしても全然何らの障碍なく直ちに明認できる関係にあるものとはいい難く、すなわち、簡単容易には意識的に予め注意しないで漫然進行するときは見落し易い状況にあること、被告人は、昭和二十四年頃自動車運転免許証を受け、爾来自家用車を運転していたものであるが、現在までの間警音器を鳴らすべきところでこれを鳴らさず警察係官に注意を受けたことが一回あるのみで他に自動車運転に関し何らの事故をおこしたことなく、本件事故現場を自動車を運転して通行するのは最初であつたこと、被告人は当日家族を乗せ特にいそぎの用があるわけでもなく本件事故現場に現場の制限時速三十二粁位の速力でさしかかつたところ、前方に引越荷物を満載し時速二十五、六粁で同所が追越禁止区域であることを知らず標識にも横断幕にも気付かず道路の最左側を佐野良司の運転する小型貨物三輪自動車があり前記横断幕から約百十九米の地点すなわち人道がなくなり旧甲州街道が分岐する地点附近でこれを右側において追い越し、少しく進行し交番前附近で立審中の佐々木哲男警察官に呼びとめられて停車してからも何故停車を命ぜられたか不可解な面貌であり、右警察官から追越禁止区域内の追越であることを指示されて横断幕は気がつかず追越禁止区域であることは知らなかつたと答えていること、右警察官は当日立審中駐留軍の自動車の追越禁止違反を認め、その車のナンバーを確かめようとして本件道路上に出て右側を眺めたところ、被告人の追越を現認したものであること、同所附近は追越禁止違反の事故が多く一日十四、五件に達し、その違反者のうちには往往にして追越禁止区域であることを知らない旨申し述べるものもあつたが、標識や区画線の完備した現在ではその違反数も減少していること等を窺い知ることができるのである。

以上の諸事実関係を基礎として考察すれば、被告人の終始弁解するように、本件追越は、原判決の認定どおり全く被告人において追越禁止区域内であるという認識(未必的な認識を含めて)なくしてなした追越行為であり、しかも被告人にのみ追越禁止区域であることを知らない点の責を負わすことのできないものと認定しなければならない。然らば、本件犯罪の犯意としては追越禁止区域であることの認識を必要とするものであること及び検察官のこのような認識の欠如はいわゆる法律の不知であつて犯意を阻却しないとする主張の理由のないことは既に説明したとおりであるから、以上の諸証拠によつて未だ被告人には前記法条違反の犯罪の成立に必要な犯意の存在を肯認し得ないのである。そして右認定を覆し被告人の犯意の存在を肯認するに足りる的確なる証左の発見できない本件においては結局本件公訴事実は、その証明十分ならずと認むるの他はない。

よつて被告人に対しては刑事訴訟法第三百三十六条に則り無罪の言渡をすることとして主文のとおり判決する。

(裁判長判事 工藤慎吉 判事 渡辺辰吉 判事 江碕太郎)

弁護人秦重徳の控訴趣旨

原判決には左の通り法令の適用の誤があり且つその誤が判決に影響を及ぼすことが明かであるから破棄せらるべきである。一、原判決はその理由中法令の適用に於て「………道路交通取締令違反行為は人命の危険並秩序維持のため罰する行政罰であつて故意ある場合は勿論過失により違反行為ありたる場合と雖も処罰せられるもの………」と記載し、道路交通取締令(以下令という)違反行為を過失犯も処罰出来ると解している。然し二、同令第五十七条は「……これを三千円以下の罰金又は科料に処する」と規定した所謂刑罰を定めているのであるから刑法第八条の規定により、刑法総則の適用を受けるのである。刑法総則の適用を受けるのであるから責任条件についても同法第三十八条の適用がある従つて一般的に過失犯に対しては特別の規定のない限り処罰出来ないのである。勿論従来の判例の示すところによれば「特別の規定」の有無については必ずしも「明文の存する場合」に限らず、更に「当該法令の精神に鑑み、その趣旨を解釈上論定し得る場合も亦含む」とせられるのであるが、三、嘗ては飲食用器具取締規則及要塞地帯法はいずれも明文はないが、「その趣旨を窺うに足る」とか、「その取締を要する」とかの理由で「特別の規定の存する場合」として過失を処罰した判例はあつた。四、然し一般的には清涼飲料水取締規則違反に関し示された通り「未必の故意」であつても兎に角犯意を要するとすべきであつて、明文をもつて特にその犯罪の成立につき犯意を必要としない旨を一般的に規定するか又は各犯罪に対する規定上犯意を要しないこと明確な場合でない限り、刑法の原則に従い犯意のない行為はこれを処罰しない趣旨として犯意を必要とし、必ずしも特別な明文規定を要するものとはしないがしかもその趣旨は「規定上」「条文上」これを認め得る場合でなければならないとするのが判例の立場である。五、然るに同令に於ては「規定上」「条文上」過失も処罰するとする趣旨は何処にも発見することは出来ないのである。原判決は「道路交通取締令違反行為は人命の危険並秩序維持のため罰する行政罰であつて……」と説示するだけで「規定上」「条文上」過失犯も処罰する法令の精神であるとする説示には不充分である。即ち「秩序維持」は一般行政刑罰のいずれも具有する要件であつて特に同令特有のものではない、又「人命の危険」も必ずしも本令特有のものでなく、清涼飲料水取締規則及有毒飲食物等取締令等に於ても人命の危険は存するのである。昭和二四年四月九日の最高裁判所の判例は、「過失ニ因リ同条ノ規定ニ違反シタル者亦同ジ」と明文を規定する以前の「過失によりメタノールであることを知らないでメタノールを販売した行為は……処罰することは出来ない」云々と判示しているのである。六、以上の如く同令が犯意を必要とせざることを一般的に規定するか、又は各犯罪に対する規定上犯意を要せざることの明確な場合に該当しない限り過失犯を処罰することは出来ないのである。然るに原審は本件公訴事実を「過失により追越禁止区域内の追越の認識なく過失により追越したものと認定し」同令第二十一条及第五十七条第二項を適用したのは、法令の適用を誤つたものである。尚同令第二十一条及第五十七条第二号が過失犯を処罰出来ないとすれば本件は無罪たるべきであるから判決に影響あることは明白である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例